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瑞龍寺(ずいりょうじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は金寶山。 臨済宗妙心寺派の坐禅修行の出来る専門道場であり、雲水(禅の修行僧)の修業の場である。 総門を入ると参道の右に瑞雲院、鶴棲院、臥雲院。左に、天澤院、開善院、雲龍院の6つの寺(塔頭)がある。一番奥には雲水の修行道場である僧堂がある。 境内には、斎藤妙椿(斎藤利藤とは別人が有力)、土岐成頼、悟渓国師の墓がある。 == 沿革 == 元々、この地には飛鳥時代より、中林寺、厚見寺などと称した寺院が存在し、その後廃寺となっていたという。 1468年(応仁2年)、美濃国の実権を握る斎藤妙椿が、美濃国守護である土岐成頼の菩提所として建立し、悟渓宗頓国師を迎えて開山。1470年(文明2年)に七堂伽藍が完成する。美濃国尾張国を中心に、東海派禅門の古道場として知られていたという。 1500年(明応9年)以降は、悟渓宗頓国師の弟子たちが輪住制で寺を守っていたが、1567年(永禄10年)の織田信長の岐阜城攻略、及び1600年(慶長5年)の徳川家康の家臣福島正則らによる岐阜城攻略により焼失する。 1747年(延享4年)に輪住制が途絶え、一時荒廃するが、1806年(文化3年)、隠山禅師により再建される。 1945年(昭和20年)の岐阜大空襲により焼失する。その後、順次再建されるが、1959年(昭和34年)に伊勢湾台風で損害を受ける。その後も再建が続けられる。 1992年(平成4年)に本堂が改築され、2005年(平成17年)に耐震補強工事が行われて新聞などにも取り上げられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瑞龍寺 (岐阜市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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